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Channel: 山梨百名山から見る風景
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「山と花と星の奏でる演奏会」開催決定

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 昨年9月に開催して大好評を得たコンサートですが、再度開催が決定しました。後半では皆既月食の夜を含めたスライド上映も同時に行われます。ご期待下さい。





 皆様のご来場をお待ちしております。

「山と花と星の奏でる演奏会」について

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 数日後に開催が迫った「山と花と星の奏でる演奏会」ですが、演奏家と相談の上、今回はバレンタイン・デーにちなんで愛の歌を中心に13曲+αを準備しています。スライドは後半で6本行う予定です。
 しかし、インフルエンザが大流行しているために病院として若干問題が生じ、入院患者様にインフルエンザが流行するのを回避するために今回の演奏会の在り方が数日前に議論されました。その結果、入院患者様については感染リスクを回避するために今回の演奏会には参加をご遠慮いただくということに決定しました。本来は患者様への癒しを目的として始めた演奏会ですが、今回に限り、現状が現状だけに止むを得ない対処とご理解いただきたいと思います。
 ご来場されるお客様については、感染リスクをできるだけ回避するために、受付にマスクと手指消毒薬をご用意させていただきます。また、会場には加湿器6台と空気清浄機を設置し、可能な限り万全な態勢でお迎えします。休憩時間の間には扉と窓を開放して空気の入れ換えをします。しかしそれでもなお、インフルエンザ感染のリスクは完全に無くすことはできないということをご了承いただきたいと思います。
 そのようなことで、皆様に不自由をおかけして申し訳ありませんが、演奏会は2月12日(日)午後2時から予定通り開催いたします。逆境にありながらも心に残るような楽しい会にしたいと思っております。皆様のご来場をお待ちしております。 
実行委員長 吉野

「山と花と星の奏でる演奏会」開催しました。

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 インフルエンザ大流行しており、一時は中止という話も上がりましたが、病棟患者様は参加させないという方針で予定通り2月12日に演奏会を開催しました。遠方から来て下さった方もおり、感謝しています。準備やら、会場の管理やら、スライド上映やらでバタバタしており、お相手できなくて申し訳ありませんでした。会の準備やインフルエンザ対策などいろいろと大変なこともありましたが、開催できてほっとしています。




   サプライズな誕生会までやっていただきました。



 トライアングルKの皆さん、スタッフの皆さんご苦労さまでした。
 次は気候の良い時に入院患者様も入れて盛大にやりたいですね!!

厳冬の雨ヶ岳一夜(前編)  平成24年2月4−5日

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 平成24年2月4日

 予定では前週の1月28日に山頂で朝を迎え、ダイヤモンド富士を撮影して下山するはずだった。ところが・・・朝地震が2回、しかも震源地は富士山に近い位置。もっと凄い揺れが来るかも知れないと思うと、登る気にはなれなかった。1週間遅れて、ダイヤモンド富士にはならないが、薄明に昇ってくるさそり座と天の川を見たいのもあって、行ってみることにした。

    端足峠への本栖湖側登山口  雪が積もるが、踏み跡は明瞭。

 静岡側の根原から登ったほうが道はわかりやすいが、今回は本栖側から登る。距離が短かく、地図上からは早く登れそうに見える。竜ヶ岳登山口のある青少年スポーツセンター側の道路は冬期閉鎖されているため、本栖湖北側の道を回り込んで端足峠登山口に向かう。ゲート手前の広場は積雪15cmほどあり、ここに車を止めて12時45分に出発。ちょうど下山してきた2人連れがいたのでコース状況を聞くと、ずっと雪が積もっているそうだ。端足峠中腹で軽アイゼンを装着、峠には午後2時半に到着した。その際に、ヘッドライトを持ってくるのを忘れたのに気付くが、懐中電灯にもなるLEDランタンを持っていたのでこれで間に合わせることにする。

    端足峠登山道の中腹から見上げる雨ヶ岳。すぐそこに見えるが、峠からの登りがきつい。


    端足峠から見る富士山  峠から朝霧高原側の根原に行く道も踏み跡明瞭。


    端足峠から見る本栖湖と竜ヶ岳。10mm広角レンズだとここまで収まる。

 ここからが雨ヶ岳への急登となる。毛無山塊らしい急登が1時間以上も続く。日没が迫る4時過ぎ、ようやく富士山の眺望が効く山頂直下の草地に出た。眼下の朝霧高原には毛無山塊の影が伸び始めていた。その先も急登が続き、4時45分、ようやく山頂に到着した。

    雨ヶ岳への急登。1時間半ほどひたすら登る。


    山頂直下の草地(笹原)から見る朝霧高原と富士山  夕暮れが迫る。

 テントを張る前に撮影場所の確保のために笹原の雪を踏んで足場を固め、三脚を出して夕暮れの富士を撮る。日没を過ぎて薄暗くなったところでテント撮影、バーナーを炊いて暖をとりながら撮影を繰り返す。

    雨ヶ岳山頂と夕暮れの富士


    月昇る夕暮れの富士


    Earth Shadowの富士

 午後7時、月が富士山頂まで昇ったあたりで夕食をとると、間もなく燃料が無くなってしまった。もう1個の燃料に変えようとザックの中を探るが・・・なんと、替え燃料が入っていないではないか。いつもザックに入れっぱなしにしてあるのだが、この日はシュラフを入れ直す際に一旦取り出し、そのまま入れ忘れてきてしまったらしい。気温は軽く−10℃を下回る。暖をとらずに星空の撮影を行うことは相当厳しい。月明かりを使って下山することも考えたが、折角重い荷物を背負ってここまで来た意味がない。持ってきた替え下着、ももひき、靴下など全て着込み、シュラフ2枚とシュラフカバーを掛けてその中に潜り込んでみるとなんとか耐えられそうだ。ただし、外で撮影に時間をかけすぎて手足が冷えてしまうと暖める術が無く、凍傷になりかねない。そこで、レリースタイマーをセットして、構図を決めたらタイマーを使ってオートで繰り返し撮影し、その間はシュラフに潜り込んで体を冷やさないようにするという方法でその夜を過ごすことにした。

    冬の大三角形昇る富士  画像上のあかるいところは月。


    富士に昇る月とオリオン座  明るすぎる十三夜の月だが、空気が澄んだ山の上では星も写る。

 これで朝まで持つのだろうか?(後編に続く)

厳冬の雨ヶ岳一夜(後編)  平成24年2月4−5日

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 平成24年2月5日(2日目)

 冬の山で一夜を過ごすためには不可欠な燃料が夕暮れを過ぎた午後7時で尽きてしまい、替え燃料を持って行くのを忘れてしまった。このピンチをシュラフ2枚にシュラフカバーを掛けた3重の装備で夜を過ごすことにした。−15℃までは十分に耐えられるはずだ。幸運にも雪を溶かさずとも十分な量の水を持ってきており、火力を必要としないパンや行動食は十分にあった。さらに、幸運にも風があまり吹かなかったので体感温度はさほど寒くはなかった。

    富士に昇る春の大三角形  月が明るすぎて星の写りはいまひとつ。


    星空の解説。土星と火星があり、そちらのほうが春の大三角形よりも明るい。

 夜9時、一旦寝て、次は春の大三角形が富士山の上に昇ってくる未明1時過ぎに起きる。そしてまた寝て次はさそり座が昇って来る3時半に起きる。(ほとんど寝た気がしない。)そのままシュラフとカメラを行ったり来たりで夜明けを迎えてしまう。さそり座は計算した通りの位置に昇って来た。その尻尾のところから伸びる天の川が富士山の上で弧を描くような構図、Milky Way Bowが今回の狙いだったのだが、若干時期が早く、天の川は朝焼けの明かりの中に消えてしまい、写らなかった。

    昇りはじめたさそり座  富士の右側にさそり座の胴体あたりまでが昇っている。


    薄明の空に昇るさそり座  天の川は朝焼けの中に消えてしまう。


    黎明の富士

 ダイヤモンド富士にはならなかったが、山上の夜明けは美しい。赤く染まる水平線、蒼く染まる空、夜明けとともに次第に消えて行く星々、そして日の出。この時ばかりは寒さを忘れて東の空を眺めていた。夜明けとともに富士山には雲が巻き始め、雲の上のダイヤモンドのような富士山を見ることができた。

    日の出直前の富士


    富士山から昇る朝日  1週間遅れでダイヤにはならない。


    山頂の木を入れてダイヤモンドな富士


    雲霞の上のダイヤモンドな富士


    同上


    あっという間に雲が湧きはじめ、下山開始後は完全に雲の中に隠れてしまう。

 思ったほど寒さを感じることなく一夜を過ごせた。朝食はパンとシリアルバーで済ませてテントを撤収、8時半に下山開始する。登りよりも下りのほうがスリップしそうで気を使う。順調に下山し、10時25分、車を止めた広場に到着した。車のフロントガラスには氷がびっしりと張り付いていた。

    フロントガラスに張った氷

 雲海に昇るダイヤモンド富士はそれらしきものは撮影したものの、今回もおあずけとなる。いつかきっと・・・。

皆既月食の月 〜滝子山一夜〜

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  平成23年12月10日、皆既月食の月を大月市笹子にある滝子山という山の山頂で過ごしました。ちょっと寒かったですが、空気が澄んで月食観察には最高の夜でした。先日開催した「山と花と星の奏でる演奏会」で上映した皆既月食の月を編集してみましたのでお楽しみください。パワーポイントのスライドをJPEG変換して作成したので、若干画質が粗いですがお許しください。

皆既月食の月.mpg


 曲はクイーンのボヘミアン・ラプソディという有名な曲ですが、1966カルテットという若手演奏家がバイオリン2台、チェロ、ピアノの編成でリメイクしています。最近お気に入りのグループですが、コンサートがあまり無いのが残念です。4月1日に「題名のない音楽会」に出演するそうですので、ご注目ください。

標柱整備と樹氷の茅ヶ岳  平成24年3月4日

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 平成24年3月4日

 樹氷の情景を求めて北八ヶ岳を予定していた。そして予定通り朝5時に目を覚ました。しかし・・・空はどんよりと曇り空、三つ峠ライブカメラを見ても山には雲がかかっている。これでは・・・
 中止してもう一寝入りして明るくなった7時半に起きる。外に出ると、自宅のある積翠寺周辺の山にも雲がかかっている。これでは、山の眺望は望めない。そこで、一冬あけたところで傷んでいるであろう茅ヶ岳標柱を整備しに行くことに決めた。林道を短絡しようとして大明神林道に入ろうとしたが、冬季でゲートが閉鎖されていて入れない。深田公園駐車場から歩くことになるが、ちょうど2グループ、6〜7人の登山者が出発するところで、山頂で一緒になるのを避けるため(ボンドやニスの臭いが強く、休憩時に不快感を与えかねない)あえて饅頭峠という峠を迂回して登山道に入る。この道は途中までが立派な林道になっていて、西側に迂回してから尾根に取り付き、2〜3個のコブを超えて大明神林道に到着するため、10〜15分ほど余計に時間がかかる。その代わりにほとんど人が歩いていないため、あの混雑する茅ヶ岳においてほとんど人に会うことがない静かなルートだ。ただし、時折オフロードバイクが走るため、バイクの音がしたら道を避けないと事故にならないとも限らない。

    深田公園


    深田公園を過ぎてすぐ先にまんじゅう峠の道標あり。


    饅頭峠。ここを右折して尾根道を歩くと、大明神林道沿いの駐車場に至る。

 深田公園を出発したのが10時半、11時15分に女岩経由の茅ヶ岳登山道入り口に到着。さらに女岩に到着したところで、駐車場で会った3人組が女岩の先の急斜面を登っているところだった。一休みして出発。いつもの茅ヶ岳の森で写真を撮り、ゆっくりと斜面を登って行くと、尾根に登り付くあたりで少しだけだが樹氷に彩られた木があった。思いもよらぬ光景にうれしくなり、しばしその界隈で休憩してこの景色を楽しむ。

    女岩。凍りついてはいなかった。10mm超広角レンズではこの広さまで写しこめる。


    茅ヶ岳の森の倒木


    尾根付近にできていた樹氷


    深田久弥慰霊碑付近の樹氷


    雪の華

 山頂に到着したのは午後2時。ほぼ予定通りだ。雲が湧いて景色は何も見えない。駐車場で見かけたグループはちょうど昼食を終えた頃だった。私は軽食をとって標柱整備にとりかかる。予想通り、古いほうの標柱は以前よりさらに朽ちており、さわるとボロボロと崩れてしまう。あまり壊さないように、朽ちた個所には念入りにボンドスプレーを噴霧して固める。そしてスプレーニス、さらに刷毛でニスを上塗りして、最後に黒ペンキで標柱の文字を塗り直す。約1時間で作業を終える。山頂にいた人たちも私の作業に興味を持ってくれ、この標柱のいきさつなどを、またしても自慢げに話してしまった。

    山頂のTwin Tower (before)


    山頂のTwin Tower (after) 天候が崩れ始めて暗くなってきたため、フラッシュを焚いて撮影。ピカピカ!

 3時過ぎ、尾根道を下山しはじめると、そこには驚くべき景色が広がっていた。一面樹氷の世界だ。日当たりが悪く風が吹かなかったこちら側の斜面にはまだ樹氷がそっくり残っていた。天候が崩れ始めて霧の巻いた光景がまたいっそう幻想的だ。本日は使うことが無いだろうと思っていた三脚をここで取り出し、存分に写真を撮る。この斜面で相当な時間を費やし、気が付けば時間は4時になっていた。遂に小雪が舞い始める。中腹の大岩を回り込んだあたりで樹氷の景色は終わり、三脚とカメラを仕舞ってあとはひたすら降りる。高度を下げると、雪はしだいに雨に変わり、さらに濃い霧が湧いてきた。午後5時、駐車場に到着した。

    茅ヶ岳尾根道に広がった樹氷の風景


    茅ヶ岳の樹氷


    同上


    同上


    凍りつく木


    霧巻く樹氷の情景

 茅ヶ岳は厳冬期にも何度か登っているが、このような樹氷の景色を見たのは初めてだった。うまくすれば、樹氷の向こうに立つ甲府盆地越しの富士山が見られるのかもしれない。

樹氷の森、鬼頬山から黒富士へ

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 平成24年3月11日

 3月9日から10日にかけて甲府では雨が降った。さほど寒い雨ではなかったが、河口湖や富士吉田では雨ではなく雪だった。そして11日、雨は上がったが空は曇り空、しかし天気予報では日中晴れ間が差しそうだ。
 同じ職場に勤務する山仲間の一人が4月から静岡に転勤することとなった。この日は送別会を兼ねた登山を予定し、昨年北岳に登ったメンバーを主に、朝6時、職場前の駐車場に集結した。行き先はヨッシーの隠れ家、黒平から黒富士ルートと撥岩を予定していた。車で昇仙峡の奥、金桜神社からマウントピア黒平への道を行くが、途中に通行止めの看板あり、さらに林道を3kmほど進むとあたりの景色は雪景色に変わった。太刀岡山が真っ白に雪化粧している。この雪の量だと、黒平から黒富士へのルートは相当な時間を要してしまい、到着できないかもしれない。かつ、撥岩から道の無い尾根を下りるのはほとんど困難である。即座にルート変更を決め、引き返して平見城の黒富士農園から登ることにする。

    黒富士農園駐車場


    雪の越道峠

 黒富士農園からは越道峠、鬼頬山を経て黒富士に至り、八丁峠を経て農場に戻る周回が可能である。7時50分に農場を出発し越道峠に向かうが、予想通り途中から道路は雪道に変わった。30分ほど歩いて峠に到着したが、あたりはすっかりご機嫌の雪景色だ。先週の茅ヶ岳に続いて、3月にこの山域でこのような雪景色が見られるとはラッキーだ。誰も踏んでいない雪の感触を楽しみながら、鬼頬山に向かって進む。

    鬼頬山に向かう雪の登山道  木の枝が雪で垂れ下がる。


    樹氷の道、踏み跡の無い新雪の道

 くるぶしから脛下くらいの雪でラッセルというほどでは無かったのだが、鬼頬山への急登は辛かった。張られているロープや木につかまりながら、雪の斜面に靴を蹴り込んで登り、50分ほど時間を費やしてようやく山頂近くの緩い斜面に登り付いた。なんとかアイゼン装着せずに登り切った。ここで休憩していると、幸いなことに足の速い若者2人組みが私たちに追いついてきた。コースを聞くと、本日私たちが予定しているのと同じコースを歩くとのことだ。トレースをつけておくことをお願いし、ここから先は彼らのトレースの跡をひたすら追う、他力本願登山に変わる。

    霧の巻く樹氷の森  中央に見える黒い穴は鬼頬山の洞窟


    鬼頬山の急登。ここの登りは相当疲れた。


    森の切れ間から見る雪景色

 鬼頬山山頂からは一旦急下りとなり、そしてまた登り。黒富士の直下までは緩い下りとなり、そして最後の急登が待っている。岩混じりの急斜面を登り切り、12時10分、ようやく黒富士山頂に到着した。越道峠の道標には黒富士まで2時間と書かれていたが、ちょうど3時間かかって到着したことになる。

    雪山初経験者もいるが、皆笑顔。


    樹氷の森から見上げる青空


    鬼頬山山頂


    鬼頬山からの急下り


    カラマツの樹氷


    陽が差すといっそう生える樹氷の森

 朝は曇っていた空には青空が広がった。金峰山や八ヶ岳などは雲がかかっているが、隣の升形山、曲岳、茅ヶ岳などは良く見え、雪化粧した山並みが美しい。昼食をとってゆっくり休憩する。

    黒富士山頂  ハイキングコースのはずだったのですが、結構大変でした。


    黒富士展望台。富士山は見えず、残念。


    樹氷の山並み  右から升形山、曲岳、金ヶ岳、茅ヶ岳。その向こうの南アルプスは雲に隠れる。

 午後1時、下山開始する。升形山のコルあたりはいちばん雪が深く、膝下あたりまであったが、先行してくれた若者2人のおかげで迷うこともなく、労せずに通過することができた。午後になると樹氷の雪はボロボロと落下しはじめ、しばしば頭の上に降ってきた。これもまた樹氷の森の楽しみだ。1時40分、八丁峠を通過し、黒富士農園に向かって雪の感触を楽しみながらひたすら下りる。そして2時40分、黒富士農園の駐車場に到着した。参加メンバー皆、満足気な表情をしていた。

    升形山のコル。このあたりが一番雪が深かった。先行した若者2人に感謝。


    八丁峠直下。午後になると樹氷はだいぶ落ちてしまっていた。

 3月11日はあの大地震が東日本を襲った日だ。地震が発生した午後3時46分、追悼のサイレンが鳴った。参加者全員、北東の方向を向いて黙祷を捧げ、犠牲者の冥福を祈った。この後一旦解散し、6時半、駅前の「ういち」という鰻料理店に再び集合して送別会を行った。主力メンバーの一人が欠けることは残念だが、実家が甲斐市なので都合がつけばまた一緒に登れるだろうし、2年後には甲府に戻ってきているかもしれない。新しい職場でも活躍してくれることを願う。

富士山撮影会 平成24年3月15日

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 平成24年3月15日

 前日の3月14日、めまい診療についての講演会が開催された。その際の講師で来られた先生は日本屈指の平衡神経の大家、かつ、大の写真好きの先生でもある。「日本の四季」と題した日本各地で撮影した写真を、毎年カレンダーにして出版されている。そこには、心暖まる日本の自然風景が載せられている。
 3月15日は仕事を休みにして、先生とともに富士山の撮影会に出かけることになった。お供というよりも、私自身、この撮影会を楽しみにしていた。ただし、完全に1日やすめるわけではなくて、30分ほどで仕事は終わるが一度職場に戻らなければならない。往復時間を入れると2時間ほど時間を費やしてしまうが、これも仕事柄やむを得ない。

 猪之頭林道
 ダイヤモンド富士には数日早いが、朝の日の出はここに決めていた。日の出の前の朝焼けが富士山頂に円を描くところを狙っていた。しかし・・・朝の天気は曇り。富士山は雲を被り、山頂が現れず、不発に終わる。今日は1日この空でダメなのではないかという心配がよぎる。その後ふもとっぱら、本栖湖、河口湖大石公園と回ったがいずれも富士山現れず、場所の下見だけするに留まった。9時半、一旦職場に戻る。




 岩本山公園
 仕事を30分ほどで終え、今度は梅の名所、静岡県富士市の岩本山公園に向かう。ここでありがたいことに、本日車の運転を引き受けてくださった先生がおり、そちらの車に乗り換えて出発する。朝早かったので睡魔に襲われ、移動中に1時間ほど眠らせていただいたが、このおかげでかなり頭がすっきりした。富士宮に入ったあたりでふと目を覚ますと、雲が晴れ始め富士山が見えてきた。道沿いに梅の花がちらほらと咲いている。期待を膨らませて岩本山公園に12時半到着。時間が遅くなってしまったが、おそらく午前中では富士山が見えなかったであろう。雲が時々巻き、春霞で不鮮明ではあるが、なんとか富士山が姿を現した。三脚を持ったカメラマンもたくさん来ている。ほぼ満開の梅の花を存分に堪能した。ズームレンズで梅の花と富士山を狙うのが標準的だろうが、あえて私は広角レンズを使って梅の花をできるだけ広く切り取ってみた。しかし、これだと梅の写真で富士山の写真という感じにはならなかった。











 白糸の滝
 山梨側に戻って今度は白糸の滝に向かう。ここは午後になると富士山に陽が当たるので、撮影は午後のほうが適している。ただ、難点なのは富士山と白糸の滝を移し込める展望台が、崩落の危険のため立入禁止になっていることだ。すっきりした富士山が姿を現したのだが、やはりフェンスが邪魔になってしまい、良い位置では撮影できず、残念無念だった。





    綺麗な富士山が姿を現したが、フェンスが邪魔で滝が入らない。

 山中湖湖畔
 今度は富士山を半周回り込んで山中湖に向かう。富士山の裾野に沈んで行く夕陽を湖面に反射させて撮影しようという狙いだ。山中湖平野には日没迫る午後5時ごろに到着した。湖畔近くの路上に車を止めて山中湖湖畔に行くと、想定外の雪原になっていた。踏み跡の無い綺麗な雪原を探して、そこで三脚を立てる。風がやや強まり、富士山にまとわりついていた雲はすっかり晴れていた。美しい湖畔の夕暮れの景色が広がる。最後の訪問地で、本日最高の1枚を撮影することができた。









 朝はどうなることかと思ったが、しだいに天候が好転し、私としては大変満足できた撮影会だった。私一人で車を運転していたら相当疲れていただろうが、協力者がいてくれたおかげで本当に助けられた。きっと本日撮影した中の1カットが来年の「日本の四季」カレンダーの1ページを飾ることだろう。


 小松崎先生、橘田先生、ご苦労さまでした。おかげさまで楽しい撮影会ができました。またのお越しをお待ちしております。

霧氷の王岳 平成24年3月19−20日

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 平成24年3月19−20日

 未明に月齢3日の月が昇ってくる3月20日、天の川と細い月を撮影できる絶好のチャンスだ。この風景を撮影できるのは2月の中旬から3月いっぱいの約2ヵ月間、年に1度か2度しかない。かつて節刀ヶ岳、金ヶ岳から撮影を試みているが、なかなか週末にあたらず、月が明るすぎて満足なものは撮れていない。特に3月になると春霞が増えて撮影が難しくなる。
 3月18日も空は雲が多く、星空など望めるような空ではなかった。しかし、天気図、雲画像を見ると、一瞬だけチャンスが来るかもしれず、うまくすれば雲海の富士と月と天の川が見られるかもしれない状況にあった。未明に天候回復を期待して、午後3時45分、西湖ほとりの根場を出発する。鍵掛峠まで約2時間、そのあたりで日が暮れて、あとは王岳までの稜線をヘッドライト点けて登るという、いつもの夜行登山だ。

    西湖ほとりの根場から見る王岳。空はどんより曇り空、こんなんで大丈夫??


    鍵掛峠直下のお地蔵さん

 予定通り、日没を過ぎて暗くなり始めた頃に鍵掛峠に到着した。展望台からは雲に巻かれた富士山が少しだけ顔を出していた。ヘッドライト点灯して稜線を進が、この先のアップダウンでアイスバーンとなった雪に相当苦戦することになる。根場から見上げる限りでは雪は心配なさそうだったのでアイゼンは置いてきたのだが、登山道だけ踏み固められた雪が残って凍りついていたのだ。特に下りは相当神経をすり減らし、木や根につかまり、時には笹やぶの中を歩いて慎重に進んだ。山頂に近付くにつれて霧に巻かれるようになり、あたりは真っ白な世界になる。気温をみると−8℃、想定外に冷え込んできた。悪戦苦闘すること2時間、午後8時にようやく王岳山頂に到着した。富士山どころか、町の明かりも全く見えない。しかし、空を見上げると時折星空が透けて見え、雲はそれほど厚く無さそうだ。明日の朝を期待して、この日はテント設営して9時半に寝る。

    鍵掛峠展望台から見る富士山  雲に巻かれるが、かろうじて姿が見える。

 翌朝は3時半に起床した。テントの外に出ると、相変わらず霧が巻いて何も見えない。狙っていた星空はあきらめて、再びシュラフに潜り込んで寝て、今度はあたりが明るくなった5時半に起きた。テントの外に出て目を見張った。霧と冷え込んだおかげで、あたり一面出来立ての真っ白な霧氷の世界が広がっていたのだ。

    翌朝の風景。一面に霧氷の景色が広がる。


    霧氷の王岳山頂


    霧氷の森


    霧氷の空

 三脚を担いで霧氷の森を行ったり来たり、やがて雲間から朝日が差し込み始める。そしてついに・・・雲に浮かぶ富士山が朝日を浴びて姿を現した。狙っていた星空と月は見られなかったが、代わりに思ってもいなかった新鮮な霧氷の世界と富士山を目にすることができた。富士山はわずか30分ほどで再び雲の中に隠れてしまった。

    霧氷と雲上の富士


    霧氷と富士


    霧氷と毛無山


    眼下に見える西湖  富士山はわずか30分で姿を消す。


    霧氷の山

 9時、テント撤収して下山開始する。帰りは鍵掛峠ではなく、王岳直登ルートを下山する。一面の霧氷の景色に感動しつつ、シャッターを切りまくる。この景色は1,500mあたりまで広がっていた。またしてもアイスバーンの登山道に苦戦し、今度は見事にスリップして尻もちをついた。危険な斜面ではなくて幸いだった。かつては不明瞭だった下部の砂防ダム付近は道が整備され、テープや看板がつけられて踏み跡もしっかりしていた。

    帰りは根場からの直登ルートを行く。道標が立ち、道も整備されていた。


    こちら側も凄い霧氷の景色が広がる。


    同上


    標高1,500m付近。このあたりで霧氷の景色は終わる。そしてこの先、アイスバーンの道に苦戦。

 根場いこいの里から王岳を振り返ってみると、もう既に霧氷はわずかしか残っていなかった。王岳よりも標高の高い雪頭ヶ岳、鬼ヶ岳はまだ真っ白だった。こんな白い世界は、きっと今シーズンこれが最後なのだろう。山の神様からの贈り物・・・。

    根場いこいの里から見上げる王岳。既に霧氷はわずかしか残っていない。

金星・木星・月接近 鉄砲木の頭  平成24年3月26日

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 平成24年3月26日

 夕暮れの西の空で金星・月・木星がほぼ一直線に並ぶこの日は、鉄砲木の頭から富士山の裾野に沈んで行くところを撮影しようと以前から決めていた。あとは天候のみだが、この日は雲が多くて日中は富士山には雲が巻いていた。しかし、雲画像と天気図を見る限りでは回復してきそうな様子が伺える。ひとまずは山中湖まで行ってみることにする。
 御坂峠を越えて河口湖に行くと、富士山は山頂部分が雲におおわれている。途中道を誤って高速道路に乗ってしまい、ついでだから須走インターまで行って篭坂峠を通って山中湖に入った。こちら側も雲が巻いていて富士山は見えない。しかし、西の空は青空が広がり始めており、期待はできそうだ。午後4持20分、パノラマ台の駐車場に到着。夕暮れの富士山を狙っているのか、それとも私と同じく月・金・木星を狙っているのか、数台のカメラマンらしき車が止まっていた。日没にはまだ早いので、ここで早めの夕食をとって夕暮れを待つ。

    もうすぐ夕暮れ。パノラマ台駐車場を出発。


    富士山の裾に夕陽が沈む。


    鉄砲木の頭にある神社。この奥の道標には何故か明神山頂と書かれている。

 そして5時、パノラマ台駐車場を出発。普通に歩くと40分ほどで鉄砲木の頭に到着できるが、ここは三脚を担いで夕暮れを眺めながらゆっくりと歩き、6時に山頂到着した。月が見えているが思ったよりも位置が高い。待っていると、金星が輝き出し、さらに木星も見え始める。富士山もしだいに山頂が見えるようになってきた。

    月と金星が輝き出す。


    夕暮れの山中湖と月  10mm超広角レンズで撮影。


    金星・月・木星接近  その上にはプレアデス星団(スバル)が輝いている。


    金星・月・木星と山中湖の灯り


    同上  富士山は春霞で霞んで見える。

 思ったよりも寒く、おそらくは−3℃から−5℃くらいの気温だったのだろう。(下山してからの車の温度計は−3℃だった。)にもかかわらず、春霞がかかっていたのか、富士山はあまり鮮明ではなかった。しだいに富士山の裾野に沈んで行く月・金星・木星を、寒さを堪えながら眺め、8時まで山頂で過ごした。まだ月は沈んでいなかったのだが、富士山の写りがいまひとつ、かつ、頻回に飛行機が飛び交うために8時であきらめた。

    パノラマ台から見るオリオン座と冬の大三角形。空は霞んでしまっている。

 20分ほどでパノラマ台駐車場に到着。もう撮影している人はいなかったが、まだ車は2〜3台駐車していた。明日の朝までやる気なのだろうか?
 折角の面白い天体現象だったのに、空模様がいまひとつで、満足な写真にはならず。星空の撮影が難しいシーズンになってしまった。

名峰北岳.mp4

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名峰北岳.mp4



 大好きな山、日本第2の高峰北岳を周辺の山々から見た映像で綴ってみました。曲は若手女性演奏家グループ、1966カルテットです。平成24年4月1日に放送されたはずの「題名のない音楽会」に出演したはずなのですが、確かテレビ東京で放映されると思っていたので、レグザメニューでその日のテレビ東京そっくり全部録画しておきましたが、チャンネルを間違ったのか、録画されておらず、大変がっかりしています。
 メンバーの松浦りささんは高嶋ちさ子と12人バイオリニストのメンバーでもあり、山梨県韮崎市でコンサートがあった際に少しだけお話させていただきました。1966カルテットのコンサートはもうやらないのかと聞いたら、「呼んでください」と言われました。いったいどうやって呼べば良いのでしょうか?六本木STBでやったコンサートに行かなかったのを後悔しています。

八ヶ岳に咲く稀少植物たち

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八ヶ岳に咲く稀少植物たち


 甲府市武田通りの桜がちらほらと咲き始めました。もうすぐ山も花のシーズンを迎えます。昨年は山梨県山岳連盟のレインジャー活動に参加させていただき、八ヶ岳の花調査を行いカモメラン、ムシトリスミレ、イチヨウランなどの稀少植物を見てきました。今年は、ホテイランと天候が許せばツクモグサを久しぶりに見に行きたいと思っています。
 私のブログでホテイランを見ている方が多くいらっしゃるようですが、花期が合えば美濃戸から入って南沢沿いで意外と出会うことができる花です。当たり年になると良いですね。

金星・木星・月接近 平沢峠から見る八ヶ岳  平成24年3月27日

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 平成24年3月27日

 前日の山中湖に次いで、八ヶ岳に沈む月・金星・木星を撮影に出かけた。時間が許せば飯盛山に登って山頂から撮影したかったが、仕事を終えて甲府を出発したのは午後5時過ぎ。平沢峠に到着したのは6時を過ぎ、日はもう沈んでしまっていた。月と金星が西の空高く輝いているのが見える。

    平沢峠から見る夕暮れの八ヶ岳


    月と金星輝く八ヶ岳

 何度も来ている平沢峠と飯盛山だが、いつも邪魔になるのがスキー場の明かり。明るすぎて空の星も、八ヶ岳の輪郭も消えてしまう。消えていることを期待したのだが、やはりそうは行かず、夜が更けるにつれてナイターの照明が眩しいほどに輝く。ハーフNDフィルターで減光してみたが、ほとんど効果無し。

    八ヶ岳に輝く月と金星  明るすぎるスキー場のナイター照明。それとこの奇妙なフレア。照明がそのまま空に浮いている。




    月・金・木星とオリオン座






    オリオン座と冬の大三角形



 車のすぐ近くに三脚を立てて撮影していたので、足はサンダル履きだったらつま先が痛いほどに冷え込んだ。8時半まで粘り、木星が八ヶ岳に沈んだところで撮影終了、帰路につく。

    八ヶ岳に輝く月と金星

やまなしの夜富士

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 今までにアップロードした動画を見てみると、圧倒的に北岳が多いことに気付きました。山梨県を代表する山と言ったら、やっぱり富士山でしょう。昼の富士山と夜の富士山、続けてお楽しみください。同じ場所から撮影した映像もあります。

やまなしの富士



やまなしの夜富士


 平成24年4月30日(月)、連休の2日目ですが、スターバックスアルプス通り店で上映会を開催することがほぼ決定しました。夜7時から2時間くらいの予定です。本来ならばトライアングルKの3人組と一緒に音楽会&上映会をやりたかったのですが、3人の都合がどうしてもつかず、今回は音楽付きの上映会となります。今回アップロードした映像も上映する予定です。音楽担当の花形先生はこの上映会に向けてまた新たにスピーカーの作製を始めたようです。ご期待ください。

東北被災地巡礼?? 平成24年3月30日−4月1日

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 平成24年3月31日

 仙台空港、名取市閖上を視察後、高速を使わずに海沿いの道を北上して塩釜、松島を経て石巻に入る。石巻市立病院に行くはずだったが、道を誤って石巻湾に架かる大橋を渡って対岸に行ってしまった。そこには、先日テレビで見たばかりの大きな缶詰めタンクが道の中央分離帯に横たわっていた。



    道路の中央分離帯に横たわっている缶詰めのタンク。撤去か、大津波の記憶を風化させないために保存か、議論されていることがテレビで取り上げられていた。

 大橋を戻らずに川の脇ある住宅街を通って上流の橋を渡ることにしたが、その途中で見る住宅街の景色は悲惨だった。壊れてもう使い物になりそうもない家がたくさん、その向こうはがれき置き場になっていて、山のように積まれたがれき、さらに水はけが悪く、潮の腐った悪臭が漂っていた。1年以上経ってもまだこういうところがたくさんあるのだろう。


    今にも倒れそうな家。その向こうはがれき置き場。


    水(潮)のたまった空き地と壊れた家々


    こちらの水たまりは相当酷い悪臭が漂っていた。


    石巻市立病院。相変わらず周辺は水に浸かっている。


    潮の満ち干で水位が変わるようだ。前回は道も水に浸かっていた。


    石巻市立病院玄関。以前は近くまで行けたが、現在は1階部分にベニヤ板が張られ、立ち入り禁止になっている。


    火災にあった学校周辺はだいぶきれいに片付けられたが、建物はまだそのまま。

 再び海沿いの道を北上して女川に向かう。女川は海が急峻に深くなっており、高い津波に襲われ、かつ強烈な引き波に引かれて甚大な被害を受けた場所だ。牡鹿半島を短絡すると早く到着できるのだが、半島の様子を見てみたかったので大回りして女川に向かった。牡鹿半島の道路は高い位置に通っており、見下ろす海際の集落はほぼ壊滅しているように見えた。1時間ほど牡鹿半島を走り、女川に到着したころ、雨足が強くなってきた。


    一見何事も無かったかのように静かな女川の海。海鳥が泳ぐ。


    漁船が停泊し、漁業が再開されているようだが、港の岸壁は壊れてヒビだらけ。


    まだ壊れた車やがれきが散乱しているところがある。 


    港沿いの壊れた建物は現在撤去作業がすすめられている。


    津波で倒れてしまった鉄筋の建物。3棟が倒れて横たわっている。
    

    この建物を保存するか、撤去するか、現在議論されているらしい。

 港の道路脇に「おかせい」という魚屋さん、兼食堂があった。夕食にはまだ早かったが、コンビニのパンやおにぎりばかりだったのでちょっと立ち寄ってみることにした。地元でとれたドンコや黒鯛、毛ガニなどが並んでおり、漁業は再開されていると言っていた。にぎりを注文したが、どれもおいしい魚ばかりで、しかも格安だった。食事を終えたころにお店のおばさんに津波の話を聞くと、やはり相当大変だったようだ。家も店もすべて津波で流されてしまった、しかし、請求書だけは来た。それどころではないと思ったがなんとか支払った。雇っている男性は息子さんとおばあさんが流されてまだ見つかっていない、女川町内だけでまだ320人が行方不明だ。あの倒れているビルを見ると思い出してしまうから早く撤去してほしい。高台に家を移す計画があるが、整地して家が建つまでまだ2〜3年はかかる、仮設住宅の生活は厳しい・・・などなど、淡々と話す姿を見て、思わず涙がこぼれてしまった。信玄餅をおみやげにあげた代わりに、毛ガニをごちそうになってしまい、また来ることを約束した。

 もう時間は5時を過ぎてしまい、南三陸町志津川はあきらめて仙台のホテルに戻ることにした。帰りは海沿いではなく、高速道路に沿った国道を走ったが、途中で気が変わり東松島町の仙石線を見て行くことにした。もう日が暮れて暗くなってしまっていたが、5月に視察した野蒜駅周辺は片付いてはいるものの、鉄道の復旧はほぼ困難であろうと感じた。この地区は津波後の復旧活動が大幅に遅れ、孤立していた地域だと聞いている。残った家の電気がちらほらと点いており、修理して住んでいる人もいるようだ。


    仙石線野蒜(のびる)駅。横倒しになっていた電車は撤去されているが、まだ倒れた電柱などが散乱している。


    昨年5月に見たこのあたりの景色はまさに惨劇だった。粉々になった家とがれき、倒れた電車、壊れた線路。死者も多数いたのだろう、花束が手向けられていたのが印象的だった。

 (4月1日に続く)

東北被災地巡礼?? 平成24年3月30日−4月1日

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 昨年の5月、8月に次いで3度目の被災地視察となる。野次馬のようで申し訳無いという気持ちもあるのだが、現地の状況はやはり実際に行って見てみないとわからないと思う。
 3月30日の午後から出発して宿泊地の仙台に夜9時到着した。宿泊したホテルはスマイルホテル仙台というところで、行ってびっくり、繁華街の国分町ど真ん中だった。ここに2泊して明日は石巻から可能ならば志津川まで、明後日は南下して相馬を見て帰る予定だ。ホテルの近くにあった牛たん屋で食事をしたが、適当に入った店は有名な店だったようで、芸能人のサイン色紙がたくさん飾られていた。味噌焼き牛たんと牛たんのさしみは特においしかった。

 3月30日
 
 朝8時にホテルで朝食をとり、9時ごろから出発、まず仙台空港に向かう。ここは昨年8月に訪れた際にもうだいぶ片付いて整地されていた。

 〈仙台空港周辺〉

    海沿いの住居跡地や松林はすっかりきれいに撤去され、堤防の修復工事が行われていた。


    建物は一部が残されているだけできれいに撤去され、整地も済んでいる。右に見えるのが仙台空港。




    閖上地区に向かう途中の道路脇に打ち上げられている漁船。この場所は昨年5月にも訪れている。その時は壊れた家やがれき、車、船などが散乱し、塩水の腐った臭いがただよっていたが、すっかりきれいになっている。

 次に名取市閖上地区に向かう。震災前は住宅街だったこの地区は津波により壊滅的な打撃を受け、住居はほとんど何も残らず、多くの犠牲者が出た地区だ。確かに平らな場所で、逃げる高台は無く、遥か数キロメートル西の仙台東部道路くらいしか無い。

 〈閖上地区〉


    日和山神社は多くの人が訪れるので、横を整地して駐車場が設けられていた。


    献花台の花が尽きることは無い。5月に来た時は一帯にがれきが散乱し、戦争の後のようだった住居地も、すっかり片付いている。


    閖上小・中学校で植えた閖上桜。昨年は緑色の葉がついていたが、枯れてしまっているようだ。


    近くにある閖上中学校を訪れる。中は見学できるようになっていた。


    時計の針は2時46分で止まったままだ。


    壊れた1階の教室。校庭にはまだ船が3隻打ち上げられたままになっている。


    校舎前の献花台。





    献花台の机に書かれたメッセージ。中学生の素直な気持ちが伝わってきて、胸を打たれる。

(続く)

東北被災地巡礼??  平成24年3月30日−4月1日

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 平成24年4月1日(3日目)

 宿泊地の仙台から海沿いを南下して福島県に入り相馬市(できれば南相馬まで)を視察してから甲府に戻る予定で、9時過ぎホテルを出発した。高速道路を走る予定だったが、カーナビの設定を間違え、そのうえ道を間違えて一般道を走ることになってしまう。亘理町に後輩が内科乳腺クリニックを開業しており、日曜日は休みなのを承知で建物だけ見学させていただいた。クリニックは国道沿いにあるが、海からやや離れた高台にあり、津波の被害は無かったという。しかし、仙台にある彼のマンションは水につかり、家具は全て使えなくなったという。震災当日は停電となり、帰宅できずにクリニックの2階で毛布にくるまり、非常用のパンを食べてしのいだと後に手紙をいただいた。



    津波で木の枝にひっかかったゴミと壊れた家。


    相馬市の手前、国道沿いにあった災害廃棄物置場。「仮置場」とは書かれているが、いつになったら片付くのだろうか?


    木と金属などのがれきが混じり合った災害廃棄物。処理が相当大変そうだ。中には明らかに故意に捨てた産業廃棄物が混ざっているのは悲しい。


    壊れた学校の建物と案内標柱。


    2階まで津波が達していたと思われる。窓ガラスが粉々。


    学校の前から見る海側の景色。すぐ向こうに海が広がる。


    墓石はほとんどが倒れたままだ。ご家族は生存されているのだろうか?

 カーナビの地図を見ながら、国道を逸れてできるだけ海沿いの道を行くが、相馬市の手前で道が壊れており、国道に戻らざるを得ない場所があった。再び海沿いの道に戻ると、前方に大きな煙突が見えてきた。横を通り過ぎてみると、相馬火力発電所だった。福島原子力発電所があの状態なので、おそらくフル稼働なのだろう。その周辺の住宅街は壊滅的な被害を受けており、名取や仙台空港周辺、石巻などと同じく土台しか残されていなかった。


    相馬火力発電所とその周辺の住宅街。


    壊れた家。


    港近くの道路看板は下の部分が曲がってしまっている。


    相馬市の港近くの住宅街。ここはまだ整地されていない。

 相馬市で時間は午後1時を過ぎてしまい、ここまでで視察を止め帰路につく。福島西インターまで山を越えて1時間少々、さらに東北道をひた走り、渋滞に巻き込まれつつも甲府には9時半に到着した。
 まだまだ復興どころか、後片付けすらできていない東北の被災地。行政の立ち遅れは言われているが、がれきの処理に対する被災地以外の地域の理解も少ないように感じる。もちろん、復興のための予算も無いだろうし、増税は止むを得ないのではないかと、被災地巡礼のたびに思ってしまう。山梨県ももっと積極的に支援して良いのではないだろうか。いつ大震災に見舞われるかわからないし、次に支援を受けるのは山梨県かもしれないのだから。
 

今年も咲いてくれるのか?早春の思親山  平成24年4月8日

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 平成24年4月8日

 甲府市武田通りの桜が満開になった。ちょうどこの頃に咲く花、それが思親山のあの花だ。昨年はこの季節に2度訪れ、ようやく出会うことができた。今年は咲いてくれるのか?
 思親山は登るよりも佐野峠まで車で行くほうが大変だ。林道の道幅が狭く、対向車が来ると交差するのが容易ではない。ここに行くたびに、「対向車来ないでくれ」と祈りながら車を運転している。林道途中2台の軽トラックと遭遇したが、いずれも山作業に来ていた林道を慣れた車だったので、交差できるところで私の車を待っていてくれ、難無く通過できた。佐野峠に12時頃到着。雲が巻いてはいるが富士山が姿を現した。

    佐野峠から見る富士山。左は天子ヶ岳。


    登山道脇に芽を出したバイケイソウを踏まれないように囲いがしてあった。左端がカタクリの葉で、花はまだ咲いていない。


    良く手入れがしてある思親山のヒノキ林。

 佐野峠から思親山山頂までは1時間ほどで到着でき、登山に行くというレベルではない。最初から三脚にカメラをセットして、花を探しながら歩き、途中登山道を逸れて林の中を捜したりしながら進む。カタクリはまだ咲いておらず葉っぱだけ。1株だけ蕾をつけたものを見つけた。ミスミソウは一部だけほころび始めていた。予定通り、1時間ほどで山頂に到着。

    思親山山頂。富士山は再び雲隠れ。 


    山頂の山梨百名山標柱は朽ちかけている。次に行くときはニスを持って行くことにしよう。


    のんびり食事して帰ろうとした頃に再び富士山が現れる。

 さて、あの花は?稀少植物、絶滅危惧種と言っても良いかもしれない花、カイコバイモ。他にも咲く場所の情報はあるが、見つけたのはこの山だけだ。まだ蕾で、1〜2週間ほど訪れるのが早かったが、昨年に比べると本数は少ない。誰かが隠そうとしたのか、それとも枝打ちの杉の葉が偶然上に乗ってしまったのか、茎が杉の枝の下に隠れて曲がってしまっていたので、葉をよけて真っ直ぐに立つように直してきた。可哀そうなことに、6本のうちの1本は茎が折れてしまっていた。

    ほころび始めたミスミソウ。


    希少種カイコバイモ。まだ蕾で、少し時期が早かった。


    カイコバイモ  風に揺れてなかなかうまく撮らせてくれない。

 いつまでも咲いて欲しい、可憐な花たち。

山と花と星の奏でる上映会 in STARBUCKS COFFEE

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 スターバックスコーヒー甲府アルプス通り店で、DVD上映会を開催します。おいしいコーヒーを飲みながら、手作りのスピーカーから流れる優しくシャープな音楽を聞き、そして山、花、星、月の映像を見て、くつろぎのひとときを過ごしてみてはいかがですか?




 2月に山梨病院で行ったスライド上映会と一部映像が重なりますが、今回はパワーポイントではなく、新たにDVD編集しなおした作品です。パワーポイントとは違う味わいがありますので、是非ご覧ください。
 多くの皆様のご来場をお待ちしております。
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